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昭和回顧録

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公開日:2021/07/13

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害虫との闘い

昭和30~40年代、高度経済成長期の農業を取り巻く状況の変化に、農薬や除草剤の使用があります。

江戸時代から、害虫駆除に鯨油や植物油を水田に流し、できた油膜に害虫を落として窒息させる方法がありました。この地方でも、戦前から、“ウンカ”が発生した時には、高価であった石油を水田に流し駆除したそうです。(Kさん)

普通に行われていたのは、水田に入り目視で害虫のタマゴを見つけ、手で取り除く方法です。「戦中には小学生が勤労奉仕で農家に行って、手伝った」(Tさん)こともありました。

昆虫が光に集まる性質を利用して、たいまつ・カンテラ灯・電灯などに虫を集めて駆除する“誘蛾灯(ゆうがとう)”がありました。明かりに集まった虫を、石油を浮かせた水桶に誘い落として駆除するものです。

私が小学生だった昭和30年代は蛍光灯でした。街灯はほとんどない時代ですから、20ワット程度の明るさの薄紫のぼんやりした明かりでも、効果は絶大です。昼間見ると、水桶にたくさんの虫の死骸が浮き、独特の異臭を放っていました。

昭和30年代になると農薬が使われ始めました。農民は農薬の危険性に関する知識が乏しく、防護マスクや手袋さえも不十分な中で、毒性の強い農薬を使い、岐阜県下でも中毒事故で死亡者まで出ていました。そのことは話題になっていましたので、消毒臭い異臭が残り、細い竹棒に農薬名や散布日などを書いた赤い紙を吊るした水田には、小学生も近づきませんでした。

除草剤も使われ始めます。蘇原持田町の小川健三さんは、大変研究熱心な人でした。自分の水田を提供し農協の実験田の指定を受け、農民の集まる中、持田町で最初に除草剤を散布し、効果を確かめました。このことをYさんが家で父親に話すと、「稲は枯れなくて、雑草だけ枯れるような、そんな都合の良い薬などあるはずもない」と、信じてもらえなかったそうです。

農薬や除草剤の毒性が問題になり、次第に毒性の低いものに転換し、家庭菜園では無農薬栽培がよく行われていますが、出荷する農産物を無農薬で栽培することは極めて困難です。昨年度、蘇原地区で収穫間近に “ウンカ”が大発生し、水田一面の稲が枯れ、ほとんど収穫がなかった所がありました。“ウンカ”大発生の原因は不明ですが、病害虫防除がいかに大切かを知らしめる出来事でした。

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害虫の“ウンカ”の被害で枯れてしまった稲

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