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稲作栽培 小学生も犬も働き手

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公開日:2021/06/14

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「米という漢字は八十八と書くように、88回以上手間をかけないとお米はできない」という話を聞いたことがあります。田おこし、あぜ作り、苗代作り、種まき、代掻(しろか)き、田植え、水の管理、施肥、雑草取り、害虫駆除、稲刈り、稲の乾燥、脱穀、モミすりとさまざまな農作業を、限られた期間のうちに行わねばなりません。

昭和30年代までは、これらの農作業は全て人の手作業でしたので、小学生は重要な労働力でした。学校から帰ると毎日、農繁期には朝の登校前も、農作業が待っていました。戦前のことですが、「勉強などしなくて良いから(農作業を)手伝え」(Kさん)と、よく言われたそうです。

蘇原小学校(現蘇原第一小学校)では昭和30年代前半まで、農繁期に子どもが家の仕事を手伝うための休日が設けられていました。「“田植え休み”は、一週間近くあったと記憶します」(Yさん・Aさん)

家畜も重要な働き手でした。狭い水田の田おこしや代掻きには、ゆっくり歩く牛の方が馬よりもテンポが合い好都合でした。“鼻取り”という牛の誘導は子どもの仕事です。「牛も農作業が苦しいことはよく知っており、家から田んぼに行くときはノソノソとゆっくりとした牛歩の歩みで、夕方家に帰るときはサッサと足早に帰った」(Mさん)そうです。

収穫した農作物はリヤカーに積み、家まで運びますが、犬も手伝いました。犬の体にベルトを装着し、車とつなぎます。

「飼っていたのは中型雑種犬でした。装着したベルトで車につながれた犬が先頭に立ち、ハアハア息をしながら4つ足を踏ん張って、父が前を私たち姉妹が後ろを押す車を引きます。特に上り坂では、よく働いて助けてくれました」(Tさん)

昭和30年代に普及し始めた耕運機は、田おこしや代掻きに使われるとともに、リヤカーを連結させて荷物の運搬用にも活躍しました。

各務原市蘇原持田町は、その名のとおり水田が多く、稲作農業は盛んでした。緩やかな扇状地に、段々の棚田がありますが、畳1枚ほどの小さな水田もありました。しかも、清水が湧き出す「穴田」が所々にあり、そこには足場用に井桁に組んだ松の木が埋めてありました。特に田植えは、フワフワと動く足場を踏み外さないように慎重にする必要がありました。

昭和20年の空襲で焼夷弾が突き刺さった所は、20年以上にわたり爆弾の油脂が湧き出し、稲は育たなかったそうです。

昭和40年代の耕地整理により、農地は整備されましたが、やはり水田は小さく、今でも大型機械は入りません。

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機械化され、今も続く稲作

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